25年のメンヘラから生き返った人 

メンヘラだった私の闘病記

楽しすぎて死にたくなった日

2013年 6月30日 32歳 

今日、2日間ずっと完璧に徹夜しちゃいました。。。。睡眠薬がなくて、切らしてしまって。
でもとても楽しい2日間でした。学生時代の友達とお茶して、家でAKBの総選挙見ながらネットして、
その後ニコ動で、またアニメ見て、金曜の土曜の夜を満喫してしまいました。

で、ずっと寝れないから、ぐるぐる考えて、このまま死ねたらすごい幸せだなぁって。

朝は、サンリオのグッづとかセーラームーンの原本とか・・・・
私も大好きだったものを買ってくれた人に発送して、
昼は大好きな友達にあって、いっぱいおしゃべりして、
夜はアイドルの流行りや世間のワクワクする流れに乗って、
深夜にまた大好きなものいっぱい見てコメントやラジオに笑って、朝になって。

あぁ。。。今日が来なければいいのに。。。。親が怖い。世間の目が怖い。あと、しばらくこもってたから?
かがみで久々に見た自分が、あれ?腕が痛々しい感じにガリガリじゃね?めっちゃ痩けてない?

気づかないところで友人に「もう30すぎて自分みたらおばさんだったー」とか
「もう、甘いモノ食べるには、しょっぱい物を間にはさまないと、モチコが一緒にいって何注文しようか、悩んでたよー」

「発送してるって聞いて、人に会ってるんじゃーんって」

食べてない状態とか心配されてて それに気づかないで過ごしてた最近の事とかバーと来ちゃって。

もう、親が怖くて・・・消えたい 消えて欲しい。私の記憶から。

私は、たぶん、とても引きこもり気質で、臆病で。だから外に出られない。
会社で働く負担が、顔を見て、目上の人に 「人様にお金もらう」行為が怖い。

だから、会社も怖くて怖くて、学校は、いい成績とってればいいし、先生は違うから。
社会は、本当にいたたまれない。

今日の朝、ぐるぐる考えてたら、上司に母親が居たらと思うと、
徹夜明けの朝のテンションで号泣してしまいました。でも嬉しかった。もう3年くらい泣いたことなんてなかったから。

私の母親のキャリアっぷりが凄まじくて もう女性が怖い 母が怖い、
家にも会社にも居る女性に、どうしていいか分からない。
怖くて私が怖気づいて、母も私が逃げたこと分かって会話できないから要件は数年間メールのみ。

母は生命保険で35歳くらいで入って、10年くらいで部長とか、一軒家買って、
その間に子供3人を大学まで行かせて。馬力や肩書きや桁が違って、その言葉の重みが、金銭の重みが辛い。
ときどき人格者だから勉強の重みだけは何となく身に染みて。

弟がまだ2歳くらいで、コックの父と離婚して、そこから就職して。
昼に営業で回って、夜に塾の講師やって、頭いいから、私も入院先でたまに教えてもらって
(看護婦さんには仕事の範疇外で聞けないから)それでも、
「あんたは何でも、人に聞けばいいと思ってる」 と。それが甘えだと叱られ。

私は、母も嫌悪して、父も嫌悪して、たぶん社会に出る以前に人になりきれなくて、
父と母が性格が合わないといい始めた1年前に、何を食べても気持ち悪くなって、
離婚と同時に、成長期だけど、体重も減って、きっと心が悲鳴をあげって、
その時は何も気づかないで不登校の延長だったはずが、自殺対策もしっかりしてる閉鎖病棟の精神科へ入院して。 

両親は、いつもイライラしてて。そうお金のことで。
父は、母と全く別のタイプで。頭よくないから中学出てコックしてて、母が通ってた大学の食堂で出会ったらしい。

長女の私が生まれなければ、母は河合塾でそのまま仕事続けてたらしい。
父が堕ろすことを許さなくて。デキ婚

塾の生徒さんに、「自分の教え方は、分かりやすい。そして一番厳しい」と自分で言えるくらい、勿体ない寿退社だったらしい。何この上司、語ってもらってもさ。

そんな長い自分史を書き残したから、もう消えたい。22キロくらいまで栄養失調になったり、主席とったり、生まれてから20歳までに心も体も使いすぎた。

ハード不備だったなぁーってソフトいっぱい入れて、いっぱい使ったあぁーって30でスローダウンして。
2日間楽しかったなぁーってそのうちふわっと消えたい。