曲がり角ドットコム

摂食障害だった私の闘病記・克服過程や、MEC食、美容健康法など

義務教育の放棄(親の離婚で傷ついた頃と、不登校と、拒食と)   

私は、前回、平たく、
けっこうな毒親な母を紹介してしており、
なかなか、どうして学校も行けなかったのですが、それは学校へ行くことが、
すごく重要だと分かっていたのですが。
 
母は働かざるもの食うべからずをもっと厳しくしたような感じで、
食べるどころか、寝ることも、何もかも許してもらえないような人でした。
 
勉強や部活は、ちゃんとお金をかける価値のある子や、
お金のある家の子の贅沢という位置づけでした。
 
私も学校へ行くのは、親の協力があってできる事で、
存在価値が親にも学校にも認められた子や、多少困難があっても、
通学する努力を継続してる妹みたいなタイプの子で、
たかが親の離婚程度で、気にして不登校するような弱い自分には、
価値がないというか(この原因が、また母親の気に障るようです)
 
そんなこんなで家事をして、便利な存在になることで罪滅ぼししてましたね。
 
たまに、学校に行ける時に行くと、養護の先生に、
『やれば、できるんだから』とか、
『家の事は、少し手を抜いて、自分の事を優先させてもいい』って言われて泣いてました。
『教科書と参考書で3000円くらいになるし、親に言い出しずらい・・・・』って考えてました。
 
自分には投資する価値がないって、ずっと思い込んでいました。
 
一方で、離婚後に別に住んでた父親は一貫して、
 
金も出す、口も出す、スタンスです。
父は、一貫して
 
『フルタイムで働かなくてもいいように、母親が子供の世話をできるように、仕送りしてるんだから、
パート程度の仕事にして、子どもは、世話をしてもらえ。』
 
『子どもには学校へ行く権利があり義務がある』という主張です。

このパート程度というのが、
『そんなんじゃ、子供を大学まで行かせられない!』とか、
バリキャリ思考の母親には大変、勘に触るものなのです。
 
 
なので、学校へ行くとなると、自分自身の問題もありますが、
『母の元にいるのに、父の言いなりになりに、母を裏切ってる』
という問題が生じます。
 
動くにも動かないにも板挟みの状態でした
 
考えられない理由かもしれませんが、
母が私に協力して義務教育へ行けるようにしてくれる、というのは、
私にはすごくすごく遠くて、重い課題なのです。
 
私が母に協力して、私だけでなく、妹も弟もつらい子供時代でした。
明確に区別されていたので仲もよくありません。
それでも、結果、母は離婚後の35歳から10年で大企業の管理職にまで昇り詰めました。
 
その10年間、私達をなじってストレス発散をしていました。
私が家事をしている時間に、母は資格試験の勉強をし、
いろんな資格にチャレンジしました。
 
同級生が、体を成長させ、心を大きくし、賢くなり、いろんな経験をする中、
私は、体を退化し、あの子たちは違うんだ、自分にはぜいたくなんだ、
それだけの価値がある子なんだ、そう自分に言い聞かせて来ました。